通勤の最中に本を読むのが楽しい。
砂糖の歴史
仕事とは関係のない
砂糖についての本ではあるが、砂糖の歴史ときってもきりはなせないイギリスについての
歴史について多くのことが書かれている。砂糖を通してではあるが、興味深い。
砂糖入りの紅茶がイギリスの近代を支えたと。
いかに英国人が茶の木の一本も生えないイギリスを「紅茶の国」としたか。
サトウキビ畑、そして砂糖イコールプランテーションであり、プランテーションの
あるところ奴隷制度ありということで、砂糖の貿易や商売で儲ける話は正義感の
強い若いころに読んだら本当に腹立たしいと思うだろう。
しかしこれらは歴史のなかだけではなく、今なお繰り返されている人間の本質的な野望や
野心の表れでもある。そのなかで砂糖という商品が、コーヒーやコショウと同様の
「世界商品」と呼ばれる品目となり、イギリスにおいては東でとれた茶に、西(当時は
カリブ海、南米)でとれた砂糖をいれて飲むことが「ステータス」であり、
またイギリスという国は、「ステータス」をマネすることを良しとする国民性が
あったという分析が面白い。
(この傾向は島国ならではなのだろうか)
そして砂糖という商品に対して保護政策を設けたがゆえにおちいる政治的な混乱は
日本における米やこんにゃくといった産物を保護していく政策とも類似する。
歴史が繰り返すというのならば、こうした保護政策が将来に対して有用に働いたり
国の衰退を防ぐということはない。ただ現状で困窮するかもしれない人々のリスクを
先延ばしにするだけである。
それはともかく、砂糖がプランテーションで大量生産されるようになった以降の
英国において、砂糖が嗜好品の域をでて、主食とはいわないまでも
カロリー源とみなされるまでに重宝されており、それはフランスやその他のヨーロッパ
の国々では見られなかったという点も面白い。ワインやビールなどが大量生産できなかった
イギリスの気候風土、そして世界からの貿易で得た富がイギリスを(紅茶を生産できる
わけではないのに)、紅茶の国にしたのだと。
自国の産業ではなく、輸入そして輸出を循環させることで富をつくり、またそれを
維持するために文化までも変えてきた、その臨機応変さ、貪欲さには
文化を守るってなんだとまで考えてしまう。文化など、たかだか数十年から数百年も
したら入れ替わってしまうものなのだ。
それはともかく、砂糖に魅了された近代の歴史と、その後に訪れた飽食、そして
過剰な糖質制限。皮肉な近代の歴史。
プランテーションと環境破壊というところに着目すれば、砂糖の消費が落ちていくのは
良い傾向ともいえるか。