事象は多次元から考えることで核心に近づけると考えている。
「まだまだ分子生物学的研究の世界では、AをノックアウトしてBがどうだという
アルゴリズムの世界から抜け出せていなくて、そもそも細胞数の違いによって振る舞い
振る舞いが異なるというような情報がごっそり抜け落ちたまま、この条件ではこうなりました
よって証明が成立した、というような研究が多いんだよね」
と主人に話してみた。
「へえ、でも別にプログラムでエラー確率を組み込んでランダムにエラーを発生させれば
いいんじゃないの」とシステムエンジニアである夫はさらりというのであるが、
そもそも科学的な証明は100%再現できなければならないという「呪い」、いやプレッシャー
があるので、わざわざエラーをいれるなんて、研究者は「えー」と思ってしまうのだ。
「今回はAからBになりましたが、同じことをやったらAからCになりました。これは
エラーのせいです」というような論文にはついぞお目にかからない。100%AからBに
ならなければ研究として発表できないというプレッシャー、これはやはり呪いだろう。
そして「同じ遺伝情報を持つ均一化されたマウスにもかかわらず、結果が揃わない、
こんな研究は無駄だ」と匙を投げることが繰り返されているように思う。
しかし生命は有機体でもあるので、反応を一様ではない。むしろ一様ではないような
ある一定のゆらぎを維持しつつ、恒常性を保つという矛盾したことをやってのけている。
矛盾はしているが、理にかなっている。
臨床研究において、薬を投与した群とプラセボを投与した群では、
薬を投与した群の方が投与後のアウトカムの値にばらつきが生じる。
薬への反応というパラメータが1つ追加されるからだ。
しかし何がこのゆらぎを生むのか、
エネルギー単位の差、生体内の分子の間で移譲される小さなエネルギーの差(小さいからこそ
使いやすい)と、地殻変動のような巨大なエネルギーではその振る舞いが異なるのか。
いや同じだろう。
外部からの変化のベクトルが巨大なものであればあるほど、ゆらぎが大きくなり、その後に
安定した恒常性を保てるかどうかは確率論的問題だ。火山が噴火した時にどの方向に火山灰
が飛ぶのかはその時の気候や天気によるのと同じくらい、完全にランダムではないが、
100%決まっているわけでもない。
生命はそもそもそういった外部の変化やゆらぎに対して、それを抑えようとしてきたのか、
それともそれを拡大しようとしてきたのか、それすらわかっていない。
全ての生物は幼若な方がゆらぎが大きく、さらにゆらぎに対応しやすい。であるのならば、
外部からの侵襲があった時に、個々の細胞は脱分化の方に向かうというのは1つ
当てはまるだろう。ただ、それはエネルギーを消費するプロセスなので、全体としては
ロスに当たる。完全に若返ることはできない。
何を持って細胞、そして生命は外部からの侵襲、ゆらぎの拡大に対応しているのだろうか。
それが俯瞰的に見ると、アポトーシスといった系なのだろうか。