2021/04/12

day 173 painful diversity

 



スーパーにThe Economistが売っていたので実験の待ち時間に読んでいる。

日本にいた時に読み始めて、内容がいいな(数値に基づき、主観的な判断が少ない点)と
思っていたのだが、なかなかこちらで買う機会がなかった。
なんだ、スーパーにあったのか、灯台下暗しだった。

ただ、英語は難しい。

それはさておき、

記事を読んでいると、アメリカという国の強みである多様性というのは
痛みを伴っているのだなと至る所で感じる。
多様であることは、そんなに易しいことではないのだ。

誰しもそうだが、自分とは異なる人たちを無条件に受け入れる、尊厳をもって扱うことは
「自然に」できるわけではない。背景や文化の異なる人に対して、恐れを感じたり、
言語が通じない相手は「無能」「無知」のレッテルを貼る。ましてやそのような「異なる」
人が自分のテリトリーに侵入してこようと感じたものなら、敵意が生まれる。
多様性を受け入れるためには、生まれた時から「多様であることが当たり前」という
環境で育つか、もしくは「意思」をもって多様であることを受け入れる必要がある。

私のように単一の環境で育った者には、多様性を受け入れているアメリカ人は
すごいなと思う反面、生まれた時からあった「多様」には対応できても、
現在、グローバリゼーションによって急激に変わりつつある多様については
やはり痛みを伴っているのだとも感じる。

痛みというと、文学的だが、実際には支持政党ごとに憎しみあい、そして殺し合い
(アメリカの犯罪率はこの数年、特に2020年に平均で20%以上増加している。都市部はさらにひどい)隣人とのコミュニケーションが少なくなってきているということだ。
アジア人へのヘイトクライムのその一部だが、本当に一部である。
痛みは多岐にわたり、根深い。


人の価値観は大人になってから変えるのは難しい。

仕事や家庭で忙しい中、意思をもって自分の価値観を変えていこう、異なる人を
受け入れようと思う人がどれほどいるだろうか。インターネットの時代、Webは
自分好みのニュースをカスタマイズしておすすめしてくれるので、ニュートラルに、
多様な価値観を見聞することは難しい。
インターネットの画面から世界を知った気になっていても、それはどんな世界であれ
「カスタマイズされた」世界である。

多様であることの痛みを乗り越えて、それを強みにするために
その人の文化や背景ではなく、能力を評価する。
能力主義はアメリカの魅力でもあり、アメリカンドリームの象徴でもあるが、
それにも疲弊が見られる。そこそこの能力であることを許されないと自分にプレッシャーを
かけ過ぎて鬱になる、もしくは能力がないと思われたくないために、謝まろうとしない、
人を攻撃する。そういった精神的な歪みが数値に現れている。

それでもアメリカには素晴らしい魅力がたくさんあるのだが、
この国が今後どうなっていくのか、一人の外国人として住まわせてもらっている中で
心配になる。
まあ私がそんなことを心配しても何にもならないが、少なくとも周りの人たちが
この国が素晴らしいと思えるようにしたいものだ。