2021/03/03

day 135

 

生命の維持装置は多次元のベクトルで成り立っていると仮定しよう。

それぞれのベクトルはそれを構成する要素によって成り立ち、そうしたベクトルが無数に存在することで、イガグリのような(それだと3次元だが、多次元)構成をとっていると。

その上で、1つのベクトルがある方向に引っ張られたとすると、それを元に戻す力が働く。

それが恒常性を保つことにつながる。

引っ張られる力が弱ければ、元に戻す力も少なくて済む。

引っ張られる力とそれを元に戻す力は正の相関だろう。

常にどこかが引っ張られていれば、常に元に戻ろうとする力が働き、

それが生命としてのバランスを保つのに役立っている。

つまり何も引っ張られない状態は死であり、引っ張られる、それを元に戻そうとする

そのエネルギーのやり取りが生命の定義そのものである。


(すべては仮定である)

では、引っ張られる力が大きすぎて、元に戻れなければ生命はどうするのだろうか。

1つのベクトルがとんでもないところまで伸びてしまった。

元に戻せそうにもない。

とすると、その「場所」で微小なベクトルのバランスを作り出すしかない。

どうしたらそれが可能になるだろうか。

そういう事態に対応するためのシステムを生命は備えているはずなのだ。



「共存」と「多様性」

人でもそうだが、自分ではなんともしがたい困難な状況に陥った時には、

自分でなんとかせずに、人に助けを求めた方が案外すんなりと解決することがある。

ミクロな世界でも、同じことが起きるのではないか?

大きな変化、自分の存在を脅かすような変化が起きると、「他者」をあてにする。

この場合の他者は細胞内だとミトコンドリアや葉緑体になり、多細胞間だと、他の機能を持った細胞、種の間であれば他の動植物ということになる。

その結果、共存が生まれる。変化に対して強くなるために、自分とは異なるものと

共存する。

変化が大きい環境ほど、共存と多様性が生命の維持のために必要となる。


分子レベルでも同じことが当てはまるか。

変化を受けやすい細胞とは何か、

この仮説と、DNAやRNAからなるセントラルドグマはどう結びつくのか。

いや、結びつかないのか。


虚血再灌流のようなダイナミックな変化に対して、そもそもどういう方向の治療を

進めていくべきなのかについての考察。いや考察にもなっていないけど。